
いやー。
なんというのか。
読後、清涼感でいっぱいです。
最初の方ははっきり言って退屈に感じました。
え?こういうのが今っぽいの?とびっくり。
著者原作の映画「桐島、部活やめるってよ」の、
ヒリヒリした感じを期待していたので、面食らいました。
いやぁ、甘酸っぱい青春小説だなぁ。
しかもオムニバス形式。短編が苦手な私。
(舞台となる学校は一緒で、ところどころリンクはしています)
最初の1,2篇で読むの止めようとも思いました。
でもがんばって3篇を読み始めたら…
おぉ!これは面白い!
1,2篇の静かに流れる青春のお話に、
ノイズが入り始めた瞬間でした。
ここからは一気に読みました。
これは意図的なのかなぁ。
なんだろうなぁ。
1,2篇では微妙だったコミカルな要素も出てきて、
でもほんのりさせられて。
そして桐島のようなヒリヒリ感も、
きたきたー!という感じで。
そこは主題ではないので、あくまで要素ですが。
ここからはタイトルに関して妄想&個人的見解です。
登場する少女たちには現実の「卒業」が、
否応なく迫っているけど直面しない。
より正確には、直面できないでいます。
現実には卒業式を控え、
物理的にも校舎は取り壊されてしまう。
でも、少女は卒業しない。
こう書くと単なるモラトリアムのようですが、
少女たちの抱えているものはモラトリアムではなく…。
モラトリアムは自分が社会から評価されることへの恐れが原因にあるけど、
少女たちに恐れはない。
ではなぜ卒業しないのか。
それは個々の抱える喪失が原因です。
平たく言えば、別れ。
大切な人と、
お別れしなきゃいけない。
頭では分かっている。
でもできない。
ゆらゆらと心の落としどころが見つからず、
さまよっている。
そういう葛藤を抱えながら、
とうとう卒業の日が来てしまった。
少女たちはさまようのを止めて、
落としどころを見つけるために行動する。
ある少女は好きでしたと想いを告げ、
ある少女は別れを告げる。
ケリをつけるというやつですね。
ケリがつけば「卒業」のはずなんですが、
タイトルは「少女は卒業しない」
ここがずっと疑問でした。
気持ちの上で少女たちは卒業している。
いや、少なくとも卒業しようとしているのに、
何で「卒業しない」なのか。
考えてみるとこれはつまり、
「別れの痛みを忘れない」
っていう意味なのかなぁと。
儀式としても、精神的にも「卒業」はするけれど、
ケリをつける時に感じた、
別れの痛みは一生忘れない。
痛いけど、それは大事な痛みなんだ。
だから「少女は卒業しない」
のかしらと思いました。
「卒業できない」ではなくて「卒業しない」
能動的な言い方になっているところがミソで。
その時に感じた痛みからは卒業せず、
痛みを抱えて未来を生きるんだという、
決意になってるんじゃないかとひとり想像しております。
もっと単純に卒業までの悶々を指して、
「卒業しない」なのかもしれないですが…。
